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    タグ:新井田豊

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    新井田豊という天才ボクサーをご存知だろうか?WBAミニマム級を2度獲得し、同級王座を7度防衛に成功している。戦績28戦23勝9KO2敗3分。横浜光ジム所属で畑山隆則の後輩にあたる。戦績を見ると、KO率も低くく世界王者としてずば抜けている戦績には見えない。当時、同じジムに在籍していた畑山は「俺が天才なら新井田は神様」と新井田を高く評価していた。その評価を裏付ける試合が新井田豊の日本王座初挑戦時の試合だ。対戦相手は王者鈴木誠でWBA・WBCともに上位ランクに位置していたほどの選手だ。当時、この試合を見た人はド肝を抜かれた。あの鈴木誠を子供扱いして圧倒的な内容でKO勝ちしたのだ。



    試合は序盤こそ静かな立ち上がりだったが、4Rから空気は一変する。新井田は高速の左ジャブと左アッパー、トリッキーなノーガードスタイルとフェイントで鈴木を翻弄していく。4R終盤、独特のフェイントから高速の左アッパーでダウンを奪った。鈴木にとっては世界前哨戦の位置づけていたであろう試合でまさかのダウン。続いて5Rも高速の左ジャブで後退させると、今度は左スマッシュ気味のパンチでダウンを2度目のダウンを奪った。その後も、鈴木を一方的に痛めつける。反撃を試みようとした鈴木もインファイトを試みたが、新井田の高速の左ジャブとトリッキーな動きに対応できずに9RTKOで試合を終える。それまで、一部で評価の高かった新井田だったが、この試合で文句なしに天才に格上げされたのだ。にも関わらずボクシングファン以外ではほとんど知名度はない。人気が出なかったのだ。なぜか?

    新井田はムラのある天才だった。



    次の試合の日本タイトルマッチの初防衛戦だった。相手は上位ランカーの飯田大介。誰もが新井田の圧倒的なKO勝ちを予想していたが、1Rから勝負を焦ったのか新井田は飯田の左フックをもらいダウンを奪われる。それでペースを崩してしまい、新井田らしくない大ぶりのパンチで決定打を奪えず。試合はその後、積極的にインファイトをしかけていった新井田がダウンで奪われた分のポイントを挽回して初防衛戦は大苦戦のドロー防衛。

    そんな不安定な天才は世界初挑戦も不安定なままだった。相手はタイの王者チャナ・ポーパオイン。試合は大きな山場もなく、どちらも明確に取ったラウンドが曖昧なまま試合が進み、新井田が3−0の判定で勝利して、新王者になった。まぁ、これから、防衛戦でもっと面白い試合をしてくれるだろう。誰もがそう期待したはずだったが、新井田はベルトを奪取してすぐ引退を宣言する。理由は腰痛と燃え尽き症候群だ。ある意味、天才らしいといえばらしいが・・・。

    しかし、引退した翌年に再び現役復帰を表明するが、当時の王者ノエル・アランブレットに判定負けでプロ初黒星。またその翌年に再戦しリベンジに成功し、王座獲得。以降、亀田興毅と戦ったランダエタや4団体制覇の王者高山勝成らと戦い、防衛回数を7にまで伸ばした。しかし、その防衛戦のほとんどが判定勝ち。KOで勝ったのはベネゼエラのバレラ戦の1試合のみ。そのバレラ戦を契機にどんどん尻上がりに復調していくと期待もしたが、あの男が新井田の前に立ちはだかる。

    ローマン・ゴンサレス

    通称ロマゴンである。当時はそんなあだ名はなく、ニカラグアの怪物とだけ呼ばれていた。その怪物という異名は本物だった。新井田豊が何もできずに終わったのだ。圧倒的なパンチ力と柔軟性の体の動きで新井田の顔面に面白いようにパンチを打ち込み、直撃を極力避けていたはずの新井田の顔面は崩壊していった。4Rで続行不能と判断され、試合は終わった。

    この試合を最後に新井田は引退。ローマン・ゴンサレスはその後世界的なスーパースターとなっていった。

     結局、新井田は日本タイトルマッチの鈴木誠戦以上のインパクトは世界戦では一度も残せず終わってしまったのは、非常に残念だったが、あの新井田豊は間違いなく天才ボクサーだったと思っている

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     ローマン・ゴンサレスがシーサケットに敗れ一つの時代が終わった。しかし、そんなロマゴンと最初に戦った日本人・世界王者をご存知だろうか?名前は新井田豊。彼はWBAのミニマム級王座を7度防衛した世界王者だった。日本タイトル初挑戦した際は、当時、世界挑戦目前と言われていた日本王者の鈴木誠を子供扱いするようなレベルで圧巻のKO勝ち。その衝撃は凄まじく、当時は天才=新井田と言われていたほどだった。しかし、初防衛戦では指名挑戦者の飯田大介にダウンを奪われて辛くも引き分けるなどして、実力がいまいち安定しないことでも有名だった。世界王座についても、防衛戦を行わずに一度引退もしており、復帰した際は、横浜光ジムの会長にも相当頭を下げたとも言われている。復帰し、再度、ベルトを獲得し、王座を7度防衛するが、8度目の防衛戦で後のスーパースター ローマン・ゴンサレスと対戦する。結果は御存知の通り、天才新井田豊がほとんど何もできずに一方的にサンドバッグになる展開で評判通りの怪物っぷりを見せつけてくれた。この敗戦後、すぐに新井田は引退。それから、ボクシング界ではほとんど名前を聞かず今はどうしているのか?




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